村上春樹と翻訳

読むものといえば翻訳・村上春樹と銘打たれたものばかり、という時期があった。カーヴァーもフィッツジェラルドもチャンドラーもグレイス・ペイリーサリンジャーカーソン・マッカラーズもそうやって手にとってひとつひとつ自分の読書の世界を広げていく喜びはあの頃より薄れてきてしまったけれど、あの頃学んだ手の伸ばし方でいまも本に手を伸ばす日々を送っていると思う。あるとき、村上文学の愛好者を称する大学生の村上春樹の翻訳した作品を紹介するブログを見つけて覗いてみたことがある。そのブログの執筆者はあとがきで村上の書いた“この作品を訳すのは骨の折れる作業でした”みたいな言葉を引用して、“すごいですね、村上さんは骨折しながら翻訳をやり遂げたそうです”と書いていて、僕はそれをよんですごいと思って、ブックマーク登録して、折に触れて読み返していた。なんだか嘲っているように見えるかもしれないけれども、比喩が比喩を超えて現実の挿話に置き換わる翻訳術に鮮やかな跳躍を見た晴れやかさを感じたし、何よりギブスをはめながらゲラを見返す村上春樹の姿をこっそりイメージして楽しんでいたのだ。もし村上春樹が“翻訳作業に精を出しました”と記せば、やっぱり彼はオナニーする村上春樹の姿を想像するのだろうか。